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解体工事にも歴史がある!日本における解体工事の歴史を紹介

建物の歴史の中には単に建設するだけでなく、その陰で解体を行う工事も行われてきました。

この解体工事にも歴史があり、日本にも様々な出来事が解体工事の歴史の中でありました。

 

今回は、解体工事の起こりとその変遷についてまとめていきます。

 

当初は地域の仕事として解体工事を共同で行っていた

解体工事の歴史は古いものの、基本的に地域の仕事として近所の人々が共同で行ってきた歴史があります。

例えば、「○○さんのうちで建て替えを行う」という話が出れば周りの人々が集まって解体を行っていたのです。

 

確かに城や宮殿のような巨大な建造物に対しては、建設を請け負ったとび職や大工職人も参加して解体を行ってきました。

このように専門の解体工事を行う業者は存在せず、建設の専門家が業務の一つとして、あるいは地域行事として解体工事を行ってきたとされています。

 

さらに廃材も空き地に集めて左義長のように燃やして終わりだったようです。

昔はほとんどすべてが木造建築だったので、そうそう手間もかからず燃やせば済むような家ばかりでしたから、自然な流れといえるでしょう。

 

専門の業者が出てきたのは解体工事

現在のように解体専門の解体工事業者が登場したのは明治に入ってからです。

ただ、その頃も解体工事を専門とするのではなく、解体で出た古材をリサイクルするために解体を受けていたことが始まりです。

 

明治時代は木材が高価で、さらに不足していたことから古材のリサイクルは重要な仕事でした。

さらに現在のようなホームセンターのように一般の小売なども行っており、解体工事業者も現在とはまったく違った業態で運営されていました。

 

戦後になって現代のような解体工事の業者が現れる

戦争で焼け野原になってしまった都市部では、もはや古材として販売できるものはほとんど残っていませんでした。

そのため、解体工事業者も解体工事に特化するようになり、徐々に現在のようなスタイルへ変化していきました。

 

しかし、2000年代になるまでは、現在の解体工事業者とはあくまで異なった業態をしていたのです。

それはミンチ解体と呼ばれる工法を一般的に行っていたことです。

 

この工法は、分別を一切行わずひたすら解体をして行き、処分場へ廃棄する解体方法です。

足場を組まずに重機でひたすら壊す事から短期間で施工可能でした。

しかし、2003年に建築リサイクル法が施工され、現在ミンチ解体は禁止されたことから業態は変化します。

 

コンクリートなどを分別し、足場を組んで丁寧な解体が行われるようになったのです。

さらに必要に応じて建設時の建物の設計図を基にリサイクルできるものを取り除いたり、事前にアスベストなどの有無を調査したりといったことも行われているようなっています。

 

このような解体を分別型解体と呼び、現在の解体業者はこの分別型解体の下作業を行っているのです。

そう言った背景から2014年には解体工事業者も完全に独立した業者として活動を行っています。

 

まとめ

これから日本の解体件数もピークを迎えると予想されています。

解体工事業者のニーズも年々高まっており、その存在感は日増しに重要視されて来ています。

 

当初は建設業や地域の方々の手によって本業以外の一部門とされていた解体工事も環境に配慮し、人体の健康に配慮した複雑さを増し、専門の業者が仕事をするようになりました。

 

このような歴史を持つ解体工事ですが、今後も新たな歴史をつむぎ、展開していくでしょう。

これからも建設業の一業種として発展が期待されている業種になっていくのは確実です。

 

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